ここ最近、何故かオツベルと象について考えてしまう。
理由はよくわからないけど。
オツベルと象ってのは、宮澤賢治の童話の一つで、
オツベルって悪い経営者がいて、象を働かせている。
象は最初喜んで働いているんだけど、
オツベルは悪い人間で、象の給料である干し草を、
じわじわと削って行く。
象はその事について、全く怒ったりしない。
そんな目に合ってるけど。
毎晩、空にいるであろうマリア様に感謝する。
でも餓死レベルまで、干し草はどんどん少なくなって行く。
全く弱音を吐かない象が、みるみる弱っていって、
死にかけた時に、遠くにいる仲間の象が、
なんとなく虫の知らせで状況を理解し、
集団でオツベルをぶっ潰しに行く、という話。
うちの母が宮沢賢治が好きで、
朗読のCDを何度も何度も家で頻繁に流していたから、
我が三姉妹は一連の話が頭の中に叩き込まれている、と思う。
子供の頃って、あんまり何も考えずに「オツベル悪いやっちゃなあ」
くらいにその話聞いてたけど、
大人になって考えると、また違った感想だなあ。
オツベルのような人間、たくさんいるよね。
「ちょっと減らしても文句言わないんだからこれでいいだろ。
だってそれが仕事だし俺だって妻子を養わなきゃならんのよ。
旅行もしたいし、云々。」
象のような人間も多いのだろう。
「え、、、ガーン減っとる!、、、しゃーないこれもまた運命。飲み込むべし」
宮澤賢治の話って、よく考えたら、面と向かって意見(文句や反論)言えなくて、
黙って飲み込むみたいな話多いなあ。
本人がきっとそういう性格だったのだろう。
オツベルのような人間は象の気持ちなど察しないから
「マリア様、いつもありがとう。」と心で思いながらも
「てめーこのやろーこんなに干し草減らしたら死んじゃうじゃねーかー!!」
とオツベルにキレてみせるのが、
報復テロなどの悲劇を未然に防ぐ親切かもしれないよ。
ここは激しく言うのがポイントだ。
何故なら優しく言ったら
「こいつまだ余裕があるな」とオツベルは思うから。
心の中では
「オツベルにもいいとこ一杯あるんだよなあ」と思いながら
「てめーこのやろー!!」と罵るのが、
いいんじゃないかなあ、と思うけど、
まあいろいろとそういう訳にもいかんのだろうなあ。