鏡の中を数える

「鏡の中を数える」
プラープダー・ユン著


12編の短編小説が入っている。
この本の真ん中辺りに入っている
"肉の眼で"という作品、
何故だか妙に余韻があり、
珍しく二回読む。


主人公は男子大学生。
暇を持て余し、
近所の大きな公園でジョギングでもするか、
と思い立つ。

実際行ってみると、思ったより人が多く、
走るのをやめて、様子を伺う事にする。
すると、その公園のベンチに座っている男がいつも
人々を観察しているのに気がつく。
何度かその公園に行くうちに、
お互いなんとなく顔見知りになり、
話をするようになる。

男は自分より五歳年上で、イケメンだ。
服装はカジュアルで、全く走る格好ではない。

男は言う。
「お前はいい人間だ。一目見てわかった。
しかし、そこのおばあさん、そして向こうのおじさん
彼らは一見いい人間に見えるが、悪い人間だ」
それらの人と話したわけでなく、見ただけで言う。

主人公は、この人は精神病患者なのかなと疑う。
石にも善悪があるとか、
ずっと人々の観察ばかりして、
「こいつは悪人」「こっちは善人」
とかの判別を自分に教えてくるから。

しかし、彼の言葉が気になり、
しばしばこの公園で話すようになる。

男は手紙を渡してくる、
「君が僕を呼び捨てにするのを許可する」
謎の許可証だ。
その紙を持って、
主人公はついに男に尋ねる。
「何で僕がいい人間だとわかった」

男は答える
「もっと早くそれを聞くかと思ったよ。

そして。

結果、それを答えずして、話は終わる。

印象に残った点は、
主人公の思う、善と悪。

「悪は芸術であり、エンターテイメントであるが、
善は退屈その物だ。」


主人公は見ず知らずの男にお前は善だと言われて
むやみに喜ぶわけでなく(まあ嬉しいのは嬉しいんだけど)
じゃあ、何が善で何が悪なのかという事を考える。

悪の定義、
「とっさの機転とか生存本能、目先の失敗を演技で誤魔化す才能。
悪人には自分を善人に見せる事など簡単だ。
しかし善人には悪のなんたるかなど
絶対に、わかりはしない。」


善人と悪人の判別、、、
それはとても難しい。
身近であれば尚更だ。
多分上記定義故に君は悪人だよって
言われたら、言われた人はそれは生活の知恵じゃん、
損しないためだよ、と言いそう。

利己的、、、と言う事かな。
でも利己的でなく、
どうやってこの世で生きられよう。

そう、だから主人公は悪を否定していない。
むしろ肯定している。善よりも。
悪のほうが、むしろこの世に必要なんじゃないかと考える。


公園の男は、それを”見る”だけで判別する。
だから、いつも人々を凝視しているが、
たまに眼を閉じて眼を休ませている。
色々な物が、見えてしまう眼なのだろう。

最後主人公が男を見ると、彼は眼を閉じていた。


なんか、色々な暗喩めいたところ、
自分好みの話。
根源的な問いがあり、
意味深なところも。